シスターフッドの原点は
2020年秋、河出書房新社発行の季刊文芸誌「文藝」(編集長は1978年生まれの坂上陽子さん)が、「覚醒するシスターフッド」という特集を組んだところ注文殺到、雑誌にはめずらしく重版したという。映画雑誌では「旅するジーンズと16歳の夏」(アメリカ/ケン・クワピス)や「ハスラーズ」(アメリカ/ローリーン・スカファリア)などの映画を「近年増えたシスターフッド映画」などともてはやし始め、日本映画でも「あのこは貴族」(岨手由貴子)を「女性たちのシスター・フッドムービー」なんて謳ってた。確かに最近「シスターフッド」って単語をよく聞く。フェミニストなら普通に使うこの言葉だが、なぜ今、それがブームになってるんだろう。長いこと女性運動を続けている女友達に聞いてみると「ちょっとは#MeTоо運動の効果が出たかも」「誰かがシスターフッドって商売になる…って気づいたんじゃない」なんて笑ってたが、私は「学生時代、女性学を学んだ女子が社会に出、そろそろ出世し始めたからではないだろうか」と思った。大学生のころ女性学を学んでも、実際社会で働き始めれば、「男女平等なんてどこの話か」という現実が待っている。その中でも耐えて頑張り、編集長とか監督など、決定権のある地位にまで辿り着いた女性たちが、「そろそろフェミニズムの視点を出したっていいんじゃない?」と考え、チョロッと頭をもたげ始めたと想像してるんだけど。こんな女性たちはおよそ1980~90年ごろの生まれで、大学生のころ必須科目に「女性学」が入り始めた世代。現在40代半ばの働き盛りでしょう。「モロッコ、彼女たちの朝」(2019/モロッコ、フランス、ベルギー)の脚本を書き監督を務めたマリヤム・トゥザニさんもまた、1980年生まれ。もちろんご自身の体験も大きいだろうけれど、多分女性学(フェミニズム)教育を受けてるんじゃないかな。
妊婦とシングルマザーの出会い
カサブランカの旧市街、迷路のような路地を、臨月のおなかを抱え、職を探しててさまようサミア(ニスリン・エラディ)。イスラム社会では未婚の母は禁忌の存在でみんなから無視される。どこにも雇ってもらえず路上で眠るサミアを見かね、小さなパン屋を営むアブラ(ルブナ・アザバル)は彼女を家に入れる。アブラは事故で夫を亡くし、娘のワルダと二人で暮らしてきた。サミアは幼いワルダとすぐ打ち解け、伝統的なパンを巧みに作り評判になる。サミアの存在で、アブラはかたくなに閉じていた心を徐々に開き始めた。サミアの陣痛が始まり、男の子が生まれるが、すぐ養子に出すつもりのサミアは情が移らないよう、生まれた子どもを抱かず、乳もやらず、名前もつけない。泣く子どもの声に耐え続けるサミアだが…
寡黙な映画で、登場人物二人がほとんどしゃべらない。おなかの大きいサミアの眼は暗く陰り、招き入れたアブラの表情は凍りついたまま。主演二人がこんな設定だと、逆に立ち上がってくるのは五感の方だ。紐状でけいらん素麺みたいなパン、ルジザを作るバターまみれのふっくらしたサミアの手(触覚)、パンの焼けるいい匂い(嗅覚・味覚)、路地のざわめきや特徴的なアラブ音楽(聴覚)、藤田ニコルそっくり、飛び切りカワイイ笑顔のワルダや、アブラにベタ惚れ、ムロツヨシ似のスリマニが送る好き好きアピール(視覚)など、全部がスーッと入ってくる。しゃべりっぱなしのドラマだと、五感にまで気持ちがいかないものね。特に赤ちゃんが生まれてから「この子をどうしようか…」と懊悩するサミアの一人芝居はセリフなしで延々と続き、緊迫感がすごい。いやもうこちらのオッパイまでパンパンに張ってくるような気がするのよ。ついにサミアは赤ちゃんを抱き上げ、授乳するんだけど、その時彼女が一瞬、乳房に赤ちゃんの顔を押し当てるしぐさをするので、オイ窒息させる気か!と不安マックス、「わー馬鹿ヤメロ~」と、映画館で叫ぶとこでしたよ。こんなに感情移入して映画を見たのは久しぶり。
結末はいくつも・・・
モロッコ映画を見たのは初めてだったので、改めて関心を持ち、女性の状況を調べてみた。映画の中にも「女に権利なんてない」というセリフがあったけど、ホントにその通り。2018年のジェンダ―ギャップ指数は、世界149ヶ国中137位(日本も110位なんでイバれないね)、女性の識字率57,9%、婚前交渉、未婚の妊娠、中絶は女性のみ違法という状況らしい。そんな中で敢然とこの映画を作ったマリヤム・トゥザニ監督の勇気は、モロッコ社会に風穴を開けるのではないだろうか。
いい映画の特徴に、「見終わった後でも『主人公のその後』が気にかかる」という点がある。この映画もその例にもれず、出産したサミアのことが気になって仕方ない。映画では親子のその後は明らかにされなかったので、自分で考えてみた。
① 予定通り養子に出す。
婚外子がずっと差別される社会では、誰かにもらわれ実子として育てられる方が、その子にとって幸せ…と考えるのは順当なところ。子供の名前を「アダム(人間という意味。日本語なら人志クンかな…映画の原題です)」とつけたのは、そんな意味があるのかも。
② 子どもを連れて故郷に帰るか、都会で職を見つけ、シングルマザーとして
暮らしていく。
可能性はあるけど、迫害や差別ハンパないから厳しいだろうね。
・・・で、私が考えたもう一つの選択肢
③ アブラ親子と、サミア親子の4人が一緒に暮らす。
というのはいかがでしょうか。パン作りの巧みなサミアなら、きっと商売もうまくいくと思うけど。アブラに求婚しているスリマニは振られることになるのでゴメン。
「モロッコ、彼女たちの朝」は、「テルマ&ルイーズ」(アメリカ/)1991/リドリー・スコット)と並ぶほどの心震える「シスターフッド映画」だった。
あちこちにあった「シスターフッド」という言葉の説明に、どうもぴったりくるものがなかったので、この映画に即して、これも考えてみた。
「シスターフッドとは、年齢も立場も性格も違う女性同士が、女性であることで起こる理不尽な迫害に対し、対等な立場でお互いを支え、ともに立ち向かっていこうとするこころざし」
…で、いかがでしょうか。
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